昭和36(1961)年

目指すは滑空比30


 当時、国産滑空機の性能は悪く、10分を超えるフライトは年間20回程度、全フライトの1.4%程でしかなかった。もっと空を長く飛びたい。そんな思いが部員達を新たな機体の設計に駆り立てたのであった。

←性能比較図 当時日本では滑空比30を超える複座機は製造されていなかった。

 彼らが目指したものは、単なる練習機ではなく、ソアラー機としても機能する複座機であった。世界で一番の滑空比を持つグライダーをつくりたい。そんな思いで、新造機Cumulusの基本コンセプトを以下のように定めた。

 

【Cumulusの基本コンセプト】

  • 大学4年間で野外滑翔、 銀C賞が狙えるもの
  • 複座 層流翼 翼幅 16m
  • 滑空比 30以上
  • 最小沈下速度 0.6m/s台
  • 木製翼、鋼管骨格羽布張り胴体
  • 搭載重量を大きく 180kg(自重量 280kg)
  • 空気力学的計算の重視

最適な空力学的性能を求めて


 空力学的な計算を行うにあたっては、以下の10個に分類される17項目にわたって計算が行われた。

  1. 縦の静安定、一定 CLを保つに必要な昇降舵、操昇降舵の保力
  2. 横の静安定(上半角効果)
  3. 方向静安定、方向操縦性能、方向舵保力
  4. 縦の動安定
  5. 横の動安定
  6. 横の操縦性
  7. 螺旋不安定
  8. 曳航飛行中の静安定、 曳航飛行中の方向安定 
  9. 飛行機曳航、ウインチ曳航
  10. 旋回中の昇降舵保力、エルロン保舵力

 

 

←三面図

←性能曲線表

 また、強度計算は終極荷重係数が7.5となるように設計され、強く頑丈な飛行機となった。

←運動包囲線図

昭和38(1963)年10月

風洞試験


 設計した図面を基に昭和38年の10月、東京大学航空学科の1.5m風洞において風洞試験が行われた。風洞模型は部室において実物の1/15サイズで自らの手で製作され、製作費用は30万円(現在の約300万円)にのぼった。

←風洞模型

野田氏がグライダーに熱中しすぎるあまり、奥様の怒りを買い、壊されてしまい現存しないとのこと。

←風洞試験の様子

逆さ向きに吊るされている

←風洞試験結果

Re=1x10^5

剥離の発生は翼根から約4mであった。

また、風洞試験の結果から錐揉みに入りにくい機体だと予測された。

接着剤


 当時の接着剤はカゼイン(フェノール尿素樹脂)が主流であったが、強度の面で不足がみられた。そこで、Cumulusの製作にあたっては、新たに2液硬化型のエアロダックスを使用することが提案された。しかし、当時、新しい接着剤は航空局に認可されていなかったため、最新の機器を駆使して入念なテストが行われた。試験を経て、Cumulusにはエアロライトが施工されることとなった。

←接着剤試験の様子

←接着剤試験の様子

昭和39(1964)年12月

運輸省への届出


 昭和39年4月には運輸省航空局検査官との懇談が行われ、航空局への届け出にあたって、以下の20項目にわたる懇切丁寧な指導がなされた。

  • 実用機か研究機か
  • 申請書の書き方
  • 主翼の捻り下げ
  • 操縦系統の剛性
  • 層流翼の精度
  • 国際的に通用する性能強度
  • フラッター対策
  • 取付金具の強度
  • グライダーだからという温情主義は排除 等々

そして、昭和39年12月届出書類を運輸省航空局へ届け出た。届け出書類は計441頁にのぼった。

  • 届出書類
    • 空力計算、風洞試験・・・98頁
    • 荷重計算・・・23頁
    • 主翼強度計算・・・166頁
    • 尾翼強度計算・・・88頁
    • 胴体強度計算・・・66頁
    • 接着剤試験・・・10頁
  • 届出図面
    • 機体各部と冶具17枚(A4換算170枚)

募金


 複座高性能ソアラー(Cumulus)の建造費は300万円が見積もられ、うち50万円を大学が支出し、残りの250万円を工面する必要があった。これより、昭和38年4月に募金活動チームが発足し、7月には東北大学の学長名で出された趣意書および説明資料が作成され、本格的に募金活動が始まった。

 幅広い業種のさまざまな企業から賛同が得られ、結果として、91社および個人6名より、約222万を集めることができた。また、大学より50万円、OBより60万円をいただいた。

←募金趣意書

←募金結果